不老は「若さという資源」を保ちつつ、物語の幕引きを自ら選べる自由を与える。
ファンタジーにおける不死は、倒せない魔王や血の呪いのように終わりの欠如がしばしば悲劇を呼びます。これに対し不老は、時間の刃から身体と精神を守りながら、「今こそ旅を終える」と決める主権を残します。英雄は若さと技を保ったまま、王国の安寧を見届けて剣を置き、安らかな眠りを選べるのです。終われる自由があるからこそ、始まりに火が灯り、各章が輝きます。
不老は老衰による劣化を避け、技芸と魔法の熟達を限りなく積み上げられる。
記憶も体も錆びないから、千日の修練が万日に、万日が万年の体系に連なり、真の大賢者が育ちます。しかも不老は「死があり得る」世界に立つため、失敗も勝負も命がけの緊張感を保ち、創意は鈍りません。永遠に安全な不死の塔より、退路なき不老の旅路の方が、発明も詩も濃くなるのです。王立魔導院は、世代を超えても若い手で古い叡智を更新し続けられます。
不老は社会の循環を守り、王座や資源を占有せずに継承と革新のリズムを保てる。
不死の王が永久に王座を離れない王国は、やがて臣下も制度も石像のように固まります。不老の賢王は若さを失わぬまま譲位でき、助言者として影に回るから、玉座も市場も風通しが良い。生態系でも同様に、老衰死がないだけで死はあり得るため、捕食と再生の輪は保たれ、森は過密に沈みません。エルフの森で行われる千年輪番制は、その象徴的モデルです。
不老は心の耐用年数を守り、愛や悲嘆が意味を失わないまま光り続ける。
物語の不死者は、果てしない別れを重ねるうちに記憶が砂のようにこぼれ、感情が磨耗する描写が多いものです。不老なら、若さを保ちつつも満ち足りたところで幕を下ろせるから、絆を使い潰さないで済みます。同じ時間幅で共に走れるから、恋も友情も「旬」を取り逃がさず、別れはなお尊く儀礼となります。星を見飽きた古竜が自ら眠りを選ぶように、心の尊厳を守る終わりが用意されているのです。