自由意志は道徳的責任と賞罰の正当化を支える最小限の前提である。
われわれが互いに称賛し、叱責し、謝罪や赦しを交わす実践は、相手が理由に反応して行為を選べるという前提を共有します。P.F.ストローソンが示した「反応的態度」は、社会関係の基層としてこの前提を要請します。さらにFischer & Ravizzaの「理由応答性」としての自由は、形而上学的な奇跡ではなく、人が理由に照らして行為を調整できる能力という実務的な自由です。この自由がなければ、賞罰は単なる行動改変装置に堕し、当人の自己改善という倫理的核が空洞化します。
自由意志は「欲望のまま」ではなく「欲望を選び直す」自己形成の力を与える。
ハリー・フランクファートが論じた二階的欲求の観点から、私たちは衝動に従うだけでなく、どの欲求を自分のものとして是認するかを反省的に選びます。その選び直しは因果連鎖の中にあっても単なる通過点ではなく、人格の同一性と物語的自己を形づくる契機です。私が「こうありたい」と判断して行為を整えるとき、原因は私の外でなく、理由として私の内に統合されます。そこに人間の尊厳と生の意味が宿ります。
社会の制度・実務は自由に選ぶ主体を前提に設計され、その前提が信頼とイノベーションを駆動する。
契約、約束、説明責任、謝罪、許しといった制度や慣行は、選択可能性をもつ当事者を想定してこそ機能します。経済や政策もインセンティブ設計を通じて、人びとが理由に基づいて行動を調整できることを前提にしています。現状に従うだけでなく「違う未来を選ぶ」という構えが、逸脱のリスクを引き受ける起業や創造的試行を生みます。自由意志の理念は、そのような前向きな規範期待を社会に共有させ、相互信頼の厚みをつくる役割を果たします。
自由意志への信念は実証的に自制・向社会性・努力を促し、実務的価値が確認されている。
実験心理学では、決定論的文章を読ませ自由意志への信念を弱めると不正行為が増えることが報告されています(例:Vohs & Schooler, 2008)。また、自由意志を信じるほど自己統制や助け合い行動が高まる傾向が示され、職場では主体的な努力やイニシアチブと関連するとの報告もあります(例:Baumeister, Masicampo & DeWall, 2009; Stillman et al., 2010)。これらは「自由が実在すること」の決定的証明ではありませんが、「自由を前提にすること」が望ましい心理的・社会的帰結をもたらすことを示します。哲学的には可謬的実在論に近い立場で、実務的成功と内的経験の一貫性が自由意志仮説の合理性を後押しします。